廣松渉 1933-1994(昭和8-平成6)
略 歴
1933年山口県厚狭郡に生まれ、福岡県柳川市蒲池で育つ。高校進学と共に日本共産党に入党、大検を受け東京学芸大学に入学後、中退して東京大学で哲学を学ぶ。共産主義者同盟(ブント)を支持し、雑誌『情況』の出版に尽力するなど、哲学の理論的研究にとどまらず幅広く活躍した。
思 想
廣松の思想はマルクス主義の立場に立脚し近代の構図から離れ新たな思想を組み立てようとするところに特徴がある。その思想を以下の三つのキーワードから解説する。
①マルクス主義の疎外論から物象化論への展開
廣松は、マルクス主義の疎外論が「主体―客体」図式を前提にしているとして物象化論を唱えた。疎外論においては一人の主体が労働することによって、その労働に応じて生産物に「価値」が与えられ、主体はそのことによって生産物から疎外されるとされるが、「価値」はそのようなものではないと廣松は考える。物象化論の立場に立つ廣松は、「価値」の決定基準は「総労働に対する生産者たちの社会的関係」にあると考えており、一人の労働行為ではなく、関係の網目に組み込まれた人間達の「総労働」から逆説的に個々の労働の「価値」が決定されると考えた。つまり一人の主体が労働した分の価値が生産物に付与されるということはなく、むしろ総労働から個々の労働の価値が割り当てられてから、逆説的にある主体がその生産物に価値を付与したように見えるだけなのだ。マルクスはそうした事態を「取り違え(Quid pro quo)」と呼んでおり、これを商品の「物神的性格」だとした。廣松の物象化論において重要なのは「主体―客体」は近代の作り上げた虚構であり、「関係の一次性」が本質的なものであると主張している点である。
②世界の共同主観的存在構造
廣松はこうした物象化論を発展させて、世界の共同主観的存在構造という独自の立場に立った。まず近代の「主体―客体」図式では「意識作用―意識内容―客体自体」という三項図式が成立してしまうと廣松は考える。しかしそうした三項図式はゲシュタルト心理学などから科学的に批判されており、もはや妥当性がないと考える。そこで廣松は現象(フェノメノン)の対象的二要因と主体的二重性について述べ、私達が認識する現象的(フェノメナルな)世界は本来、その二要因と二重性が重なり合った四肢的構造連関という在り方をしていると主張する。
まずフェノメナルな対象について廣松は、「即自的に、その都度すでに、単なる感性的所与以上の或るものとして現れる」と述べる。例えば私達が鉛筆を見るときそれは鉛筆「として」認識される。対象は常に「~として」という構造で認知される。この「~として」という構造は、イデアールなetwas(この場合鉛筆)がレアールな所与において肉化(inkarniren)しているということである。廣松はレアールとイデアールを交わらない対立としては見ずに、むしろ対象においてレアール・イデアールが二肢的に構造統一して現れているのだと考える。
そしてその対象を認識する主体について、フェノメノンは「誰かに対して」あるのだと廣松は考える。フェノメノンは私に対してだけでなく、彼に対して、あるいは子供に対して、外国人に対して、一般に任意の他者に対してもあることができ、その主体によって現われ方が異なる。例えば時計の音を聴くとき、日本語話者は「カチカチ」と聴くかもしれないが英語話者は「チックタック」と聴くかもしれない。つまり所与etwasを意識する在り方はその共同体によって共同主観化されているのである。だから対象が「に対して」拓けるのは単なる私として以上の私、いわば「我々としての私」であると廣松は考え、フェノメナルな世界が「に対して」拓ける主体は「誰かとしての誰」という二肢的二重性を持っているとする。
以上のそれぞれの二肢的性質を合わせ、廣松は四肢的構造連関とは「所与がそれ以上の或るものとして「誰」かとしての或る者に対してある(Gegebenes als etwas Mehr gilt einem als jemandem)」という世界の存在様式を世界の共同主観的存在構造として述べた。
③近代の超克論
廣松は戦時中の思想の総括として近代の超克論について述べている。とりわけ廣松は京都学派の近代の超克論をマルクス主義の立場から、「人間疎外」を問題にしこの「疎外」的歴史状況の超克を論じたものだったと評している。京都学派の哲学的人間学は、人間を単なる「理性的存在者」としてみる啓蒙主義的人間観に対して、人間存在を「生の現実」に即し「情意的な面」まで含めて相対的に捉えよう努力したものであった。しかしそもそも哲学的人間が所謂人間主義の埒に根差すものであり、それは俗にいう「人間中心主義の時代」たる近代の地平に照応するところの、典型的な近代哲学、典型的な近代イデオロギーの一形態であると言わざるを得ない、として京都学派の近代の超克論が近代の枠組みから依然として脱出できていないことを指摘し批判した。
廣松渉の思想は多岐にわたるが、以上の三点が廣松の主要概念である。
主要著書
A. 全集等
- 廣松渉著作集 全16巻 岩波書店、1996-1997
- 廣松渉コレクション 全6巻 情況出版、1995
B. 主な単行本・入手が容易な文庫本等
- 『マルクス主義の地平』講談社、1991
- 『物象化論の構図』岩波書店、2001
- 『今こそマルクスを読み返す』講談社、1990
- 『存在と意味 事的世界観の定礎 第1巻』岩波書店、1982
- 『世界の共同主観的存在構造』岩波書店、2017
- 『もの・こと・ことば』筑摩書房、2007
- 『近代の超克論 昭和思想史への一断想』講談社、1989
主な二次文献
- 熊野純彦『戦後思想の一断面―哲学者廣松渉の軌跡』ナカニシヤ出版、2004
- 小林敏明『廣松渉―—近代の超克』講談社、2015
- 渡辺恭彦『廣松渉の思想 内在のダイナミズム』みすず書房 、2018
- 米村健司『廣松渉―「もの」から「こと」の地平へ』世界書院、2019
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