開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期月1 | 杉村靖彦 | 講義 | 宗教学A(講義) |
[授業の概要・目的]
宗教と哲学は、人間存在の根本に関わる問いを共有しながらも、歴史的に緊張をはらんだ複雑な関係を結んできた。その全体を視野に入れて思索しようとする宗教哲学という営みは、多面的な姿ととりながら歴史的に進展し、現代でも大きな思想的可能性を秘めている。この授業では、その今日までの変遷を通時的に追うことによって、宗教哲学という複雑な構成体について、受講者が一通りの見取図を得られるようにすることを目的とする。 [授業計画と内容] 以下のテーマについて授業を行っていく(細部は変更の可能性あり)。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期月1 | 杉村靖彦 | 講義 | 宗教学B(講義) |
[授業の概要・目的]宗教哲学とは、哲学の一形態であると同時に、宗教研究のさまざまな道の一つでもある。この両面性とそれによる独自な意義が理解できるように、この授業では、宗教哲学と宗教学の歴史的関係を明らかにした上で、基本となる文献を幅広く選び、それぞれについて読解の手がかりとなるような解題を行っていく。それを通して、この分野における過去の重要な思索を自ら追思索し、宗教という事象を視野に入れた哲学的・学問的思索の一端に触れることが、この授業の目的である。
[授業計画と内容] 以下のテーマについて授業を行っていく(細部は変更の可能性あり)。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期水4 | 杉村靖彦 | 特殊講義 | 「自覚」論的観点からの西洋哲学・宗教思想史の試み |
[授業の概要・目的]「自覚」とは西田哲学の中心概念であり、かつ西田に始まる「京都学派」の哲学者たちが緩やかに共有する思考態度の表現である。だが、この語は元々「自己意識」に当たる西洋語の翻訳語として導入され、西田以前に一定程度使用されていたものであった。そのため、「アウグスティヌスの自覚」や「デカルトの自覚」といった表現が、違和感なく成り立ちえたのである。 だとすれば、京都学派の哲学を通して豊かに展開されたこの自覚概念を手引きとして、西洋哲学や宗教思想においてそれに対応する事象を見出し、それを自覚概念の光の下で新たに解釈し直すことも可能ではないか。本講義では、このような仕掛けを組みこんだ形で、宗教哲学を学ぶ上で重要な哲学・宗教思想の数々を年代順に通覧していくことによって、「自覚」論的観点から読み直された西洋哲学・宗教思想史の一端を提示してみたい。 [授業計画と内容] 以下の諸テーマについて、一つのテーマ当たり2回程度の授業をあてて講義する。 1.「自覚」概念の形成と背景、およびその哲学的可能性 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期水4 | 杉村靖彦 | 特殊講義 | 西谷宗教哲学の研究(2) |
[授業の概要・目的]西谷啓治(1900-1990)は、西田、田辺の後の京都学派の第三世代を代表する哲学者であり、大乗仏教の伝統を換骨奪胎した「空の立場」から「ニヒリズム以後」の現代の思索の可能性を追究したその仕事は、没後30年を経て国内外で多方面からの関心を引きつつある。しかし、その全体を組織的に考察した本格的な研究は、まだほとんどないと言ってよい。 本講義は、この西谷宗教哲学の全体を通時的かつ網羅的に研究し、今後の土台となりうるような組織的な理解を形成しようとするものである。それによって、今日の宗教哲学がそこから何を受けつぐことができるかを、批判的に考究していくための拠点を手に入れることを目指す。 この研究は、昨年度後期から開始されたものであり、今期の授業はその続きであるが、来年度以降も後期の特殊講義をあて、数年かけて進めていく予定である。1924年の西谷の卒論を扱った昨年度に続いて、今年度は1930年代までの諸論考を主に扱っていきたい。 [授業計画と内容] 以下の諸テーマについて、一つのテーマ当たり2~4回の授業をあてて講義する。 1.導入―西谷宗教哲学の受け取り直しのために なお、最後の授業は、本学期の講義内容全体をめぐる質疑応答と議論の場とし、講義内容の受講者へのフィードバックを図る。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期火5 | 伊原木大祐 | 特殊講義 | ユダヤ的神話の解釈学(掟の侵犯を中心に) |
[授業の概要・目的]
古来、ミュートスはたえずロゴスを活気づけてきた。古典的な思想はいうに及ばず、現代の諸思想もまた、なお現存する神話的虚構を人間認識のための重要な素材として扱っている。たとえば、古代ギリシアの神話的(/叙事詩的)語りへの反応は、プラトン哲学ばかりでなく、ホルクハイマー/アドルノやヴェイユの哲学にも見られる。また、「オイディプス」や「アンティゴネ」といった神話的(/悲劇的)形象は、哲学・精神分析・フェミニズムなどを介して、今日に至るまでたえず別様に語り直されてきた。 [授業計画と内容] 初回は導入に当てる。第2回から本格的な議論に入ってゆくが、講義の性質上、各サブトピックに対して【 】で指示した週数を充てる。各々を論じるのに時間が足りない場合は、問題を深く掘り下げてゆく目的で、週数を調整・変更する可能性がある。 1.導入的概説【1週】 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期火5 | 伊原木大祐 | 特殊講義 | ミシェル・アンリの哲学思想――導入と展開 |
[授業の概要・目的]
前世紀に独創的な「生の現象学」を打ち立てた哲学者ミシェル・アンリ(1922-2002)は今年、生誕100年、死後20年を同時に迎える。これを記念して、本授業では、アンリ哲学の総体的評価を遂行するとともに、そこから引き出しうる発展的議論のいくつかを提起するつもりである。 [授業計画と内容] 初回は導入に当てる。第2回から徐々に本格的議論に入ってゆくが、講義の性質上、各サブトピックに対して【 】で指示した週数を充てる。各々を論じるのに時間が足りない場合は、問題を深く掘り下げてゆく目的で、週数を調整・変更する可能性がある。 1.イントロダクション【1週】 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期月4 | 津田謙治 | 演習 | 教父学の基本的研究を読むI/A |
[授業の概要・目的]この演習の目的は、初期キリスト教における教義史に関する古典的研究を読み、膨大な古代史料の中から教理的主題や歴史的背景、教父の特徴などを網羅的に概観するとともに、教義がどのような歴史的展開を示しているかを学ぶことである。この演習では、ドイツ語で書かれた後、英語や仏語に訳され、幅広く受容された教父研究のテキストを精読することによって、初期キリスト教思想研究に必要な文献読解力の向上を目指す。
[授業計画と内容] 今年度の前期では、H.R.ドロープナーの主要著作の一つである『教父学教本』を取り上げ、演習を行う。 Hubertus R. Drobner, Lehrbuch der Patrologie, 3te Auflage, Frankfurt am Main, 2011. 1.オリエンテーション |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期月4 | 津田謙治 | 演習 | 教父学の基本的研究を読むI/B |
[授業の概要・目的]この演習の目的は、初期キリスト教における教義史に関する古典的研究を読み、膨大な古代史料の中から教理的主題や歴史的背景、教父の特徴などを網羅的に概観するとともに、教義がどのような歴史的展開を示しているかを学ぶことである。この演習では、ドイツ語で書かれた後、英語や仏語に訳され、幅広く受容された教父研究のテキストを精読することによって、初期キリスト教思想研究に必要な文献読解力の向上を目指す。
[授業計画と内容] 前期に引き続き、H.R.ドロープナーの主要著作の一つである『教父学教本』を取り上げ、演習を行う。 Hubertus R. Drobner, Lehrbuch der Patrologie, 3te Auflage, Frankfurt am Main, 2011. 1.オリエンテーション |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期火4 | 伊原木大祐 | 演習 | Georges Bataille, Théorie de la religionを読む |
[授業の概要・目的]本演習では、ジョルジュ・バタイユの宗教論『宗教の理論』(1974)を扱う。本書は、バタイユが1948年に(ヴァール主宰の)哲学コレージュで行った講演「宗教史概略」をもとに執筆した作品である。ほぼ完成していたにもかかわらず、生前に出版されることはなかった。「宗教」の理論と銘打ってはいるが、代表作『呪われた部分』とほぼ同時期に書かれていることもあり、バタイユの濃密な哲学的思索が展開されている。本書を宗教哲学的な視野のもとで読み進めつつ、参加者による思索と議論をより重視した演習としたい。
[授業計画と内容] 第1回 イントロダクション |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期火4 | 伊原木大祐 | 演習 | Max Scheler, Tod und Fortlebenを読む |
[授業の概要・目的]本演習では引き続き、マックス・シェーラーの遺稿「Tod und Fortleben」を読み進めてゆく。主著『倫理学における形式主義と実質的価値倫理学』とほぼ同時期に執筆されたと考えられている本論考は、ハイデガーやレヴィナスのそれとは根本的に異なった「死」の現象学的分析として、また、不死や死後生に対する宗教哲学的アプローチの模範的な実例として、今でもなお精読に値するといえよう。訳読と解釈を通じ、参加者一人一人が自身の思索を深めていくことが期待される。
[授業計画と内容] 第1回 イントロダクション |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期水5 | 杉村靖彦 | 演習 | 田辺元「社会存在の論理」とベルクソン『道徳と宗教の二源泉』の交差的読解 |
[授業の概要・目的] 田辺元の1934年の論文「社会存在の論理」は、田辺哲学の代名詞の一つである中期の「種の論理」の出発点となった論考として知られている。この長大な論文には、田辺独自の絶対無の行為弁証法を「種」という独自な概念を軸に具体化していくべく、多種多様な思想的伝統と現代的問題が縦横に参照されているが、その中でも、1932年に出たばかりのベルクソンの『道徳と宗教の二源泉』との関係は特筆に値する。田辺はこの著作の「閉じた社会」と「開いた社会」という二極構造を自らの構想する「社会存在論」の構成の中に組み込みつつ、肝心な所で根本的な批判を加える。そしてこの批判的受容を通して、田辺自身の立場の独自性が際立つという構造になっている。 以上のことを踏まえて、本演習では、ベルクソンを直接扱った箇所である田辺の「社会存在の論理」の第3章と、そこで参照されているベルクソン自身の行論を交差的に読み進める。それによって、田辺とベルクソンの双方において複眼的な思想理解を可能にすると共に、哲学・宗教哲学の文献に対する参加者の研究的な読解の訓練の場としたい。 [授業計画と内容] 第1回 導入 第2回‐14回 第15回 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期水5 | 杉村靖彦 | 演習 | Paul Ricœur, La symbolique du mal, Première partie: Les symboles primaires を読む |
[授業の概要・目的] ポール・リクール『悪のシンボリズム』は、1960年に『有限性と罪責性』の第2分冊として刊行され、リクールを解釈学的哲学への転じさせた記念碑的著作である。同時にこの著作は、その大部分が聖書や諸文明の神話から渉猟した悪の象徴的・神話的表現の意味解釈に充てられており、リクールが自らの哲学的立場を更新するにあたって、従来の哲学の境界を踏み越え、宗教的表現の生成現場へと深く沈潜したことが見て取れる。 本演習では、昨年度後期に続いて、この著作の第一部「一次的象徴:穢れ・罪・負い目」の重要箇所を抜粋して精読し、リクール解釈学の原点における哲学と宗教の交差の有りようを検討することによって、宗教哲学の可能性を探究するための材料としたい。 [授業計画と内容] 第1回 導入 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期金3 | 景山洋平 | 演習 | 現象学における人間論とその歴史的境界 ー ハイデガーと京都学派の諸著作から |
[授業の概要・目的]本演習では、Martin Heideggerの四つのテキスト(Sein und Zeit, Kant und das Problem der Metaphysik, Beitraege zur Philosophie, Unterwegs zur Sprache)の必要箇所を精読し、現象学的存在論における人間の位置を考察する。これと並行して、京都学派の著作(西田幾多郎『善の研究』/『場所的論理と宗教的世界観』、田辺元「人間学の立場」/「生の存在学か死の弁証法か」、九鬼周造「日本詩の押韻」)の必要箇所を参照し、現象学との関係を考察する。現象学的存在論における人間概念は「有限性の超越論」(フーコー)や「人間中心主義」(デリダ)と理解されがちであり、こうした理解はミシェル・アンリなどフランス現象学の歴史的展開と大なり小なり連動している。しかし、ハイデガーの思索の変容はこうした解釈に収まらない人間論の可能性を示唆する。本演習では、京都学派との関係に力点を置くことで、現象学的存在論のこうした潜在力を、なにがしか異質な歴史的地平との関係から検討したい。
[授業計画と内容] 毎回一名の訳読と報告を行い、それにつづき教員が訳読とテクストの哲学的意義へのコメントを行い、その後は全員で討議する。以下に各回の講読予定を示すが、授業の進度はそのつど前後しうる。毎回2~3頁ほどハイデガーを講読する他、必要に応じて京都学派のテクストを参照する。 第一回 イントロダクション |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期木2 | 根無一行 | 講読 | James H. Cone, God of the oppressed(1975) を読む 1 |
[授業の概要・目的]政治、社会、経済、教育、文化等、あらゆる面で抑圧され排除され続けてきた黒人たちを対話相手とする黒人解放神学(Black liberation theology)を主導したJames H. Coneの主著God of the oppressed(1975)を読む。コーンは『聖書』の中心的使信は被抑圧者の解放だとし、それこそが抑圧の状況の中で黒人の解放ということを想像可能にさせたと考える。コーンのこの考えは、時代も場所も異なり、なにより「当事者」とは言えない私たちと、しかし無関係ではない。キリスト教の中心的使信は被抑圧者の解放だという理解は、キリスト教とのいかなるものであれ強い関係性のもので成立してきた「宗教哲学」をその土台から揺さぶっているはずだからである。これまで宗教哲学が語ってきた言説は「白人=抑圧者」のものにすぎないのではないか。もっとも、黒人解放神学が政治的イデオロギーと化す可能性はコーン自身にも自覚されているように、コーンの聖書解釈もまた決定的・普遍的なものではありえない。重要なのは実践的な仕方で『聖書』の使信を証ししていくことだというわけである。非西洋圏の現代日本において宗教哲学に携わる私たちに対して本書は重層的で広い射程を持った問いを突きつけるだろう。私たちは何をどう考えていくべきなのか、本書を読みながらその手がかりをえたい。
[授業計画と内容] 第1回 導入 第2~14回 第15回 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期木2 | 根無一行 | 講読 | James H. Cone, God of the oppressed(1975) を読む 2 |
[授業の概要・目的]政治、社会、経済、教育、文化等、あらゆる面で抑圧され排除され続けてきた黒人たちを対話相手とする黒人解放神学(Black liberation theology)を主導したJames H. Coneの主著God of the oppressed(1975)を前期に引き続き読む。コーンは『聖書』の中心的使信は被抑圧者の解放だとし、それこそが抑圧の状況の中で黒人の解放ということを想像可能にさせたと考える。コーンのこの考えは、時代も場所も異なり、なにより「当事者」とは言えない私たちと、しかし無関係ではない。キリスト教の中心的使信は被抑圧者の解放だという理解は、キリスト教とのいかなるものであれ強い関係性のもので成立してきた「宗教哲学」をその土台から揺さぶっているはずだからである。これまで宗教哲学が語ってきた言説は「白人=抑圧者」のものにすぎないのではないか。もっとも、黒人解放神学が政治的イデオロギーと化す可能性はコーン自身にも自覚されているように、コーンの聖書解釈もまた決定的・普遍的なものではありえない。重要なのは実践的な仕方で『聖書』の使信を証ししていくことだというわけである。非西洋圏の現代日本において宗教哲学に携わる私たちに対して本書は重層的で広い射程を持った問いを突きつけるだろう。私たちは何をどう考えていくべきなのか、本書を読みながらその手がかりをえたい。
[授業計画と内容] 第1回 導入 第2~14回 第15回 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期木2 | 安部浩 | 演習 | シェリングの自由論 |
[授業の概要・目的]
カント、フィヒテ、ヘーゲル等の哲人。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン等の楽聖。これらの巨人に伍して空前絶後の精神の運動を牽引しつつ、百花繚乱の「ゲーテの時代」を駆け抜けた早熟の天才がいた。F.W.J. シェリングである。 [授業計画と内容] 原則的には毎回、予め指名した二名の方にそれぞれ、報告と演習の記録を担当して頂くことにする。ここに各回に扱う予定である原典の範囲を記すが、授業の進度については出席者各位の実力を勘案して修正することもある。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期木2 | 安部浩 | 演習 | シェリングの自由論 |
[授業の概要・目的]
カント、フィヒテ、ヘーゲル等の哲人。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン等の楽聖。これらの巨人に伍して空前絶後の精神の運動を牽引しつつ、百花繚乱の「ゲーテの時代」を駆け抜けた早熟の天才がいた。F.W.J. シェリングである。 [授業計画と内容] 原則的には毎回、予め指名した二名の方にそれぞれ、報告と演習の記録を担当して頂くことにする。ここに各回に扱う予定である原典の範囲を記すが、授業の進度については出席者各位の実力を勘案して修正することもある。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期火2 | 竹内綱史 | 演習 | ニーチェ『Die fröhliche Wissenschaft』第五書を読む |
[授業の概要・目的]本演習では、ニーチェの著作『Die fröhliche Wissenschaft』(邦訳名『悦ばしき知識』『華やぐ知慧』『喜ばしき知恵』『愉しい学問』等)の第五書(1887年)を精読する。同書は第一書から第四書までの第一版が1882年に出されたのち、新たに第五書が付け加わった第二版が1887年に出版された。すでに第一版で「神の死」や「永遠回帰」が語られていたが、『ツァラトゥストラ』(1883-1885年)や『善悪の彼岸』(1886年)を出版したのちに、ニーチェがあらためて自らの哲学のエッセンスを語り直したのが第五書である。そこでは円熟期ニーチェ哲学の中心テーマが集中的に論じられており、彼の哲学の最重要テクストの一つである。本演習ではそのテクストを精読することで、「神の死」「ニヒリズム」「キリスト教道徳批判」「権力への意志」といった彼の哲学の中心問題についての理解を深めたい。
[授業計画と内容] 第1回 イントロダクション 第2回~第15回 『Die fröhliche Wissenschaft』第五書精読 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
後期木3 | 鬼頭葉子 | 特殊講義 | 世俗とは何か:政治と宗教とのかかわり |
[授業の概要・目的]近代以降、宗教と政治とのかかわりについて考えるとき、「政教分離」という思想のもと、両者は対立的に考えられてきました。ここに至るまでには、近代化、世俗化という過程を経ています。しかし、現代においては宗教と政治は容易に分けられるものではなく、また宗教概念も個人の内面的なものの表現に留まるものではないことが、多くの思想家たちによって指摘されています。本授業では、世俗とは何か、公共圏とは何かを探求し、世俗主義に関連する政治的価値(自由、正義、寛容、人権など)と宗教思想とのかかわり、また世俗の時代における人間理解について考えます。
[授業計画と内容] 以下のテーマを中心にして進めていく予定であるが、受講者の関心によっては適宜、順序や内容などを変更する場合もある。 1 世俗、世俗化、世俗主義 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
金4・5(隔週) | 杉村靖彦
伊原木大祐 |
演習 | 宗教哲学基礎演習B |
[授業の概要・目的]宗教哲学の基本文献を教師とチューター役の大学院生の解説を手がかりに読み進めていくことで、より専門的な研究への橋渡しになるような知識と思考法の獲得を目指す。4回生以上の宗教学専修在籍者にとっては、卒論の中間発表の場ともなる。 宗教学専修の学部生を主たる対象とするが、哲学と宗教が触れ合う問題領域に関心をもつ2回生、および他専修学生の参加も歓迎する。 [授業計画と内容] 宗教哲学の基本文献といえる著作や論文を選んで各回の授業に割り振り、事前に出席者に読んできてもらう。そして、毎回チューター役の大学院生の解説を踏まえて、教員の司会進行の下で、質疑応答と議論を行っていく(その際、履修者には特定質問者の役割を少なくとも1回は担当してもらう)。また、卒論の中間発表の際には、論述の仕方や文献の扱い方なども指導し、論文の書き方を学ぶ機会とする。 第1回 オリエンテーション・卒業論文の中間発表 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
金4・5(隔週) | 杉村靖彦
伊原木大祐 |
演習Ⅱ | 宗教学の諸問題 |
[授業の概要・目的]演習参加者が、宗教学の諸問題のなかで各人の研究するテーマに即して発表を行い、その内容をめぐって、全員で討論する。討議のなかで、各人の研究を進展させることが目的である。
[授業計画と内容] 参加者が順番に研究発表を行い、それについて全員で討論する。各人の発表は2回にわたって行う。即ち、発表者は1時間以内の発表を行い、続いてそれについて討論する。発表者はその討論を受けて自分の発表を再考し、次回に再考の結果を発表して、それについてさらに踏み込んだ討論を行う。したがって、1回の授業は前半と後半に分かれ、前半は前回発表者の2回目の発表と討論、後半は新たな発表者の1回目の発表と討論となる。 第1回 オリエンテーション、参加者の発表の順番とプロトコールの担当者を決定。 |
開講期・曜時限 | 教員 | 種別 | 題目 |
前期集中 | 板橋勇仁 | 特殊講義 | 身体論としての西田哲学の研究 |
[授業の概要・目的]後期西田哲学に身体論が展開されていることはよく知られている。しかしこの身体論に焦点を当てた研究成果はまだ多くない。なぜであろうか。西田哲学の出発点は処女作『善の研究』であるが、この『善の研究』にある身体論には注目されてこなかった。そして『善の研究』の身体論から理解してゆかない限り、後期西田哲学の身体論の意義とその射程も明らかにならないであろう。しかも西田哲学の身体論は一貫して、現代日本の身体を取り巻く状況に対して鋭い問題提起を突きつけてくる。初期・後期の西田哲学の身体論を理解し、それを現代の身体の状況と照らし合わせるために、以上の問題意識に基づいた拙著『こわばる身体がほどけるとき』を講読する。あわせて拙著が依拠する西田の著作をも具体的に検討し、そのうえで参加者で積極的に議論したい。拙著については、もう一度中心線を骨太に描き直すと共に、拙著には盛り込めなかった、多様な伏線をできる限り追ってみたい。
[授業計画と内容] 第1回 ガイダンス |