2018年度 講義題目
開講期・時限 | 講師 | 種別 | 題目・概要 |
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前期火1 | 杉村靖彦 | 講義 | 宗教学A(講義)
[授業の概要・目的] 宗教と哲学は、人間存在の根本に関わる問いを共有しながらも、歴史的に緊張をはらんだ複雑な関係を結んできた。その全体を視野に入れて思索しようとする宗教哲学という営みは、多面的な姿ととりながら歴史的に進展し、現代でも大きな思想的可能性を秘めている。この授業では、その今日までの変遷を通時的に追うことによって、宗教哲学という複雑な構成体について、受講者が一通りの見取図を得られるようにすることを目的とする。 [授業計画と内容] 以下のテーマについて授業を行っていく(細部は変更の可能性あり)。 |
後期火1 | 杉村靖彦 | 講義 | 宗教学B(講義)
[授業の概要・目的] 宗教哲学とは、哲学の一形態であると同時に、宗教研究のさまざまな道の一つでもある。この両面性とそれによる独自な意義が理解できるように、この授業では、宗教哲学と宗教学の歴史的関係を明らかにした上で、基本となる文献を幅広く選び、それぞれについて読解の手がかりとなるような解題を行っていく。それを通して、この分野における過去の重要な思索を自ら追思索し、宗教という事象を視野に入れた哲学的・学問的思索の一端に触れることが、この授業の目的である。 [授業計画と内容] 以下のテーマについて授業を行っていく(細部は変更の可能性あり)。 |
前期水2 | 芦名定道 | 特殊講義 | キリスト教思想研究入門A
[授業の概要・目的] この特殊講義は、すでに系共通科目「キリスト教学講義」を受講し、キリスト教思想研究に関心のある学部生、あるいはキリスト教研究の基礎の習得をめざす大学院生を対象に行われる。キリスト教思想研究を目指す際に身につけておくべき事柄について、またいかなるテーマをどのように取り上げるのかについて、解説 を行う。 [授業計画と内容] 本年度前期のテーマは、「宗教改革から近代キリスト教思想へ」である。初回のオリエンテーションに続いて、次のような項目について、講義が進められる。一回の講義で一つの項目が取り上げられる。 0.オリエンテーション フィードバックの具体的なやり方については授業にて説明を行う。 |
後期水2 | 芦名定道 | 特殊講義 | キリスト教思想研究入門B
[授業の概要・目的] この特殊講義は、すでに系共通科目「キリスト教学講義」を受講し、キリスト教思想研究に関心のある学部生、あるいはキリスト教研究の基礎の習得をめざす大 学院生を対象に行われる。キリスト教思想研究を目指す際に身につけておくべき事柄について、またいかなるテーマをどのように取り上げるのかについて、解説 を行う。 [授業計画と内容] 本年度後期のテーマは、「旧約聖書と哲学的問い」である。初回のオリエンテーションに続いて、次のような項目について、講義が進められる。一回の講義で一つの項目が取り上げられる。 0.オリエンテーション フィードバックの具体的なやり方については授業にて説明を行う。 |
前期水4 | 杉村靖彦 | 特殊講義 | 「自己同一」をめぐる諸考察
[授業の概要・目的] 哲学と宗教の双方において、「自己が自己である」という一見当たり前のことが、理論的にも実践的にも容易ならざることとして繰り返し問われてきた。この意味での「己事究明」は、自己や主体という言葉が重みを失っているように見える現代においても、宗教哲学の第一の課題でありつづけている。 [授業計画と内容] 基本的には以下のテーマについて授業を進める(若干の変更の可能性あり)。 1. 「自己が自己であるということ」:問いの在処とその宗教哲学的意味 *最後の授業は、本学期の講義内容全体をめぐる質疑応答と議論の場とし、講義内容の受講者へのフィードバックを図る。 |
後期水4 | 杉村靖彦 | 特殊講義 | 田辺哲学研究
[授業の概要・目的] 田辺元の哲学的思索は、その異様なまでの凝縮度と彼固有の論理への偏愛によって異彩を放っている。田辺は西洋哲学の最前線の動向、諸学問の最新の成果を飽くことなく摂取し、歴史的現実にもそのつど敏感に反応しつつ、それら全てに自前の思索によって緊密な総合を与えるべく、生涯血の滲むような努力を続けた。彼の濃密にすぎる文章はそのようにして生み出されたものである。この凝縮体を丁寧に解きほぐし、そこに封じ込められたさまざまな展開可能性を切り出すことによって、今日のわれわれがリアルな接触をもちうるような形で語り直すこと。それが本講義の狙いとするところである。本年度は、『懺悔道としての哲学』(1946)以降、特異な形の「宗教哲学」に踏み込んだ田辺の思索の10年ほどに渡る展開を追跡し、この時期の鍵語である「実存協同」の哲学的多産性を、宗教、哲学、政治、芸術等、諸分野の交錯の中で解明していきたい。 [授業計画と内容] 各回の授業内容は以下の通りである(細部は変更の可能性あり)。 1.本講義のアプローチの特色と狙い なお、最後の授業は、本学期の講義内容全体をめぐる質疑応答と議論の場とし、講義内容の受講者へのフィードバックを図る。 |
前期水5 | 福谷茂 | 演習 | カント『純粋理性批判』演習
[授業の概要・目的] カントの主著であり近世哲学史の基本書である『純粋理性批判』を精読する。狙いはカントを通して哲学史の展望を行うこと、および哲学のテクストの読み方の稽古を行うこと。 [授業計画と内容] 本年度は昨年度に引き続き「超越論的弁証論」の「純粋理性の誤謬推理」を読み進める。頻繁にクロスレファレンスを行うので、参加者はかならずPhilosophische Bibliothek版のKritik der reinen Vernunftを用意すること。 |
前期水5 | 杉村靖彦 | 演習 | ポール・リクール「物語的自己同一性」を読む
[授業の概要・目的] リクールが三巻本の大著『時間と物語』(1983-85)の結論部でもちだした「物語的自己同一性」という概念は、この著作で大規模に展開された物語論を自己論へと旋回させる端緒となり、1990年の『他者としての自己自身』(1990)へとリクールを導いた。この授業で扱う論文「物語的自己同一性」は、1986年に発表され、上の二つの大著の関係を照らすものとして重要な意味をもっている。 [授業計画と内容] 第1回 導入 |
後期水5 | 杉村靖彦 | 演習 | ジャンケレヴィッチ『死』を読む
[授業の概要・目的] ここ10年来、哲学や宗教が長らく根本問題の一つとしてきた死や死者という問題が、たとえば「死生学」といった新たな意匠の下で盛んにとりあげられてきたが、その際「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」という区分法が自明の事のように用いられてきた。それを最初に提示したのが、ジャンケレヴィッチの大著『死』(1966)である。死の三区分が便利な符牒として独り歩きする一方で、独自の用語を駆使し濃密な文章で展開されるこの著の叙述自体は、ほとんどまともに理解されていないとい言っても過言ではない。 [授業計画と内容] 第1回 導入 |
前後期木3 | 下田和宣 | 講読 | カッシーラーの神話と宗教 『人間についての試論』を読む
[授業の概要・目的] 20世紀ドイツの哲学者エルンスト・カッシーラーが、晩年に英語で執筆した『人間についての試論』(1944)を読む。「シンボル」(ないし「シンボル形式」)をキーワードとするカッシーラー哲学の主題は、宗教を含む、人間精神に関わる諸現象の総体としての「文化」であり、「人間」である。諸現象の根源へと回帰するのではなく、むしろ人間精神の展開に着地する彼の文化哲学的アプローチは、他の精神諸科学・文化学との緊密な連関のもとで企てられるものであり、かつその学際的・領域横断的知性は、今日なお多様化し、複雑化する宗教現象を考えるうえでひとつの参照軸となることが期待される。 [授業計画と内容] (前期) カッシーラーの思索の独自性に触れるために、前期では、彼の基本的立場が示されている『人間についての試論』第一部を取り上げる。この書は、彼の浩瀚な主著『シンボル形式の哲学』で展開された思想体系を、「シンボルを操る動物」としての「人間」という視点を軸に簡潔に整理したものであり、それゆえカッシーラー哲学入門として最適なものである。 第1回 イントロダクション 第2回~第14回 『人間についての試論』第一部を読む 第15回 フィードバック (後期) 講読の主対象は、カッシーラー『人間についての試論』第七章「神話と宗教」である。しかし、神話の問題は彼の思索のなかでもとくに重要な位置を占めており、例えば主著『シンボル形式の哲学』第二巻「神話的思考」、および最晩年の『国家の神話』をはじめとして、他にもいくつか重要な文献が存在する。これらについても積極的に目を配りたい。また、当時の古典文献学・神話学の動向を参照し、カッシーラー哲学をめぐる独自のコンテクストを明らかにすることで、立体的な理解を構築したい。 第1回 イントロダクション 第2回~第14回 『人間についての試論』第七章「神話と宗教」を読む 第15回 フィードバック |
後期金3 | 安部浩 | 演習 | ハイデガーのニーチェ講義を読む
[授業の概要・目的] ハイデガーのニーチェ講義。それは、ハイデガーその人の一見秘教的と思しき中期以降の思想を理解する上でも、ニーチェの後期哲学の高峰を踏査する上でも、避けて通ることのできない文献である。しかのみならず、ハイデガーやニーチェの思想との関連を別にしても、それは哲学の根本問題を自ら考える上で実に多くを教えられる、滋味掬すべき必読の書である。 [授業計画と内容] 原則的には毎回、予め指名した二名の方にそれぞれ、報告と演習の記録を担当して頂くことにする。以下、各回に扱う予定である原典の範囲を記すが、授業の進度については出席者各位の実力を勘案して修正することもある。 1. ガイダンス |
金4・5(隔週) | 杉村靖彦 | 演習Ⅱ | 宗教哲学基礎演習
[授業の概要・目的] 宗教哲学の諸問題を考えるための基礎となる文献を選び、宗教学専修の大学院生にもチューターとして協力を仰ぎながら、それらを共に読み進み、問題を掘り起こし、議論を行う場となる授業である。授業への能動的な参加を通して、より専門的な研究への橋渡しになるような知識と思考法の獲得を目指す。 [授業計画と内容] 上田閑照『私とは何か』の主要箇所を共に通読していく。各回2,3人の担当者を決め、授業の前半は、担当者の内容要約および考察の発表と、それに対するチューター役の大学院生によるコメントに充てる。授業の後半では、教員の司会進行の下、発表内容をめぐって、質疑応答と議論を行っていく。隔週授業のため、全7回として各回のテーマを記しておく。(詳細は変更の可能性あり) 1. オリエンテーション |
金4・5(隔週) | 杉村靖彦 | 演習Ⅱ | 宗教学の諸問題
[授業の概要・目的] 演習参加者が、宗教学の諸問題のなかで各人の研究するテーマに即して発表を行い、その内容をめぐって、全員で討論する。討議のなかで、各人の研究を進展させることが目的である。 [授業計画と内容] 参加者が順番に研究発表を行い、それについて全員で討論する。各人の発表は二回にわたって行う。即ち、発表者は1時間以内の発表を行い、続いてそれについて討論する。発表者はその討論をうけて自分の発表を再考し、次回にその再考の結果を発表して、それについてさらに踏み込んだ討論を行う。したがって、1回の授業は前半と後半に分かれ、前半は前回発表者の二回目の発表と討論、後半は新たな発表者の一回目の発表と討論となる。 |
前期集中 | 増田一夫 | 特殊講義 | ジャック・デリダ――その思想の輪郭を探る
[授業の概要・目的] ジャック・デリダ(1930年-2004年)については、講義録も徐々に刊行され、その思想がようやく姿を現しつつある。現前の形而上学の脱構築、エクリチュール、差延などで知られ、近年では「動物論」の文脈で引き合いにだされるこの思想家については、しばしば難解だという評価がおこなわれている。しかし、実のところ、その思想は深淵かつ抽象的な宇宙論などを語ることはなく、「動物論」も示しているように、きわめて具体的な問題を論じるものである。 [授業計画と内容] 担当教員が大枠の解説等をしながら授業を進め、受講者による講読が中心となる授業ではない。ただし、教員による解説を裏づけるテクストなどを、受講者の能力に応じて、翻訳、解説していただくことはある。その際の分担量については、集中講義のため準備期間が短いことを考慮する。 第1回:イントロダクション 授業では、受講者の発言を重視する。期間中、授業2回分程度の時間を質疑と意見交換に充てる。 |
前期集中 | 後藤正英 | 特殊講義 | ドイツ観念論における三つの宗教論争
[授業の概要・目的] いわゆるドイツ観念論(最近はドイツ古典哲学という呼び方も一般的である)の展開過程においては、三つの宗教論争が存在したことが知られている。それは、汎神論論争、無神論論争、神的事物論争(有神論論争)の三つである。特に注目すべきは、いずれの論争においても、ヤコービが論争の仕掛人としての役割を果たしている点である。ヤコービは、メンデルスゾーン、フィヒテ、シェリングとの論争を通して、ドイツ観念論の形成に大きな役割を果たすことになったのである。 ヤコービはスピノザの哲学を一元論的な体系をもつ合理主義哲学の典型として理解したうえで、そのような哲学に人間の自由や超越的な神の人格性が捉えられるのかという挑発的な問題提起を行った。ドイツ観念論の哲学者たちは、この問題提起に対して、それぞれの仕方で応答しようと試みることになったといえる。 もちろん、これらの論争においては、スピノザだけでなく、カントの道徳宗教理解も大きな争点となっている。この講義では、上記の三つの論争の経緯を概観する中で、ドイツ観念論に代表される近世ドイツの宗教哲学が争点としたものは何であったのかを明らかにしたい。 [授業計画と内容] 以下の各項目について講述する。各項目には、受講者の理解の程度を確認しながら、それぞれ冒頭に記した授業回数をあてる。 第1回~第3回(第1日)ドイツ観念論の名称について、ドイツ観念論前史としての啓蒙主義の哲学(特にモーゼス・メンデルスゾーンとカント)について |